Dangerous Mind

Dangerous Mind

2020.3/16〜3/31

3/16 Mon
キャッシュレス化した弊害で、たまに現金を使うと釣り銭を取り忘れる。ハッと気づいて自販機に戻ったが、お釣りの¥890は誰かの小遣いに。

3/17 Tue
「鑑み」。全体的に面白かったような気もする。気もする、が、これは今回限りにして普通のライブをやりたいと思う。

3/18 Wed
娘が最初に発した言葉が「19.02」だった。という夢を見た。

3/19 Thu
ショートフィルムのMAを自宅で行う。コロナの影響で、立ち合いの作業はなかなか難しくなってきた。

3/20 Fri
我が初代スマホZenphone Goの画面が相変わらず割れまくっている。操作できないので買い換えようと思う。

3/21 Sat
「それ」の作業。なかなか進まない。どのようにしたらお経のようにならずに面白いのか、というか、お経のようでも面白いのか、試行錯誤の日々。
UMIDIGIという中国のSIMフリースマホを一万ちょっとで購入する。機種による対応キャリアなど必要な事を調べていたら、夜中になってしまった。


3/22 Sun
SIMカードの型が古くて携帯電話が移行できなかった。SIM再発行の手続きなど。

3/23 Mon
UMIDIGIのスマホは必要十分というか、通話とLINEと地図くらいしか使わない自分には満点。GPSの精度が上がって自分が今どの方角を向いているかがわかるようになった。これが一万ちょっとですぐ手に入るって(アリババとかで買えば一万以下)、あらためてすごい時代だなあ、と。

3/24 Tue
昔のバイト先での夢。病気で亡くなってしまったIさんと働いている。組織内で十分コミュニケーションがとれておらず、家族的だった組織にいつの間にか隙間風が吹いている。それをただただ傍観していた2010年前後のあの感じを思い出す。それはいくらか青春的な、甘酸っぱい崩壊でもあった。皆所謂フリーターで、近い将来何かを成すために頑張っていたが、思うような結果を出せないまま、徒らに時間だけが過ぎていく。そんな時期に、そこは確実な自分たちの居場所だったし、単に生活費を得る手段としてだけではなく、励まし合い、羽根を休められる休息の場所だった。それが、ゆっくりと失われていく。その崩壊には、しかしどこか甘美な部分がある。

3/25 Wed
ルーク・ケイジ」第一話を見る。ハーレムが舞台で、サウンドトラックが90年代ヒップホップで(というかウータン・クランで)、悪と正義が入り混じり(というかどの勢力もそれぞれグレーで)良い。並行して、コロナ関連のニュースをどうしても見続けてしまう。情報が飛び交い、10人いれば10通りの意見がある感じで、見てもキリがないとわかっていても、見てしまう。

3/26 Thu
ルーク・ケイジ」の続きを見る。連続ドラマは最終話までのしばらくの間、何を見るか迷わずに済むところが良い。長大な流れの中で描かれる、登場人物のキャラクターや人物相関図の変化をフォローしていくのは、映画の尺では味わえない楽しみだ。

3/27 Fri
コロナに関して確実に潮目が変わった感がある。アミューズメントは延期・中止しても止む無しという雰囲気。雰囲気というか、事実、密集は危険なので、自分でもそういう結論に達してしまう。一度決まったライブの予定をキャンセルするというのは、今まで考えられない事だったけど、そんな事も言ってられないほど逼迫感のある状況。自分もこの一週間ほどで捉え方が変わった。正直、中身のない空騒ぎくらいに思っていたが、それはただの無知だった。

3/28 Sat
外出の予定が全部飛んだので、だいたい毎日同じ感じ。5時に起きて「ルーク・ケイジ」と「ノット・オーケー」と「フォロワーズ」の続きを見る。「フォロワーズ」は文化的後進国で作られたドラマという感じで、ストーリーの粗雑さを面白がりながら見るような見方というのも限界で、リタイア。

3/29 Sun
コロナのニュースが気になって、読書しても文字が頭に入ってこない。4月の予定は全て延期・中止となった。カニエ・ウェストを集中的に聞く。今まで意味がわからなかった「Life of Pablo」が、とうとうわかる気がしてきた。

3/30 Mon
志村けんの訃報。コロナニュースが気になって作業が殆どできず。音楽に身が入らない。実家の母はかなり警戒しているようなので少し安心する。感染症に対するスタンスが家族間で違った場合、それを説得するのは難しい事のように思う。今は、気にしないでジャンジャン外出する人がいる一方で、自主的にロックダウンしている人もいて、反応は二極化している。

3/31 Tue
ルーク・ケイジ」の続きを見る。法に裏付けられたオフィシャルなルールと、それ以外のアンオフィシャルなルールが交錯する物語。超人的なヒーロー達は全員、自警団というか、第三勢力というか、そういうものなので、社会的に危ういバランスに存在している。アンリアルな存在であるヒーローを、リアルな扱いでドラマにするには、だからその社会的軋轢の描写が効果的である。結局、正義とは何とか、誰にとっての正義なのか、みたいな正義論に行き着き、そこで一面的な悪を想定することこそが、悪となる。それは21世紀のストーリーテリングに於けるコモンセンスである。そこを自覚しつつ、どの程度距離をとるのか、とらないのか、みたいな部分が脚本の質となって現れてくるし、その点がぞんざいな作品を見せられると、なんだか馬鹿にされているような、こちらの程度を低く見積もられているような、残念な気持ちになってくる。