Dangerous Mind

Dangerous Mind

2020.10/1〜10/15

10/1 Thu
詩の朗読バージョンのミックスが完成した。夜、とうめいロボ&内橋和久(ゲスト:山本達久)のレコ発イベントで、久しぶりにライブハウスに行くと、会場では、演者とともにお客さんも一緒に、その場の音楽を作っているんだなあ、という感じがすごくした。

10/2 Fri
今まで試した事のなかったcubaseのオーディオワープ機能はとても面白い機能だったので、もっと早く試せば良かった。ある程度の年数(気づけば15年以上)使っているけど、いまだに知らない機能が幾つかある。

10/3 Sat
K家に遊びに行く。娘より5か月先輩のT君がすっかりパリピ化していて「カンパーイ」を連発。娘は相変わらずの人見知りで、しばらくマナーモードが解除されず、1時間ほどたってようやく徐々に動き出す。

10/4 Sun
ラップをしてみようかと思い、トラックを作る。それはただの思いつきだったようだ。

10/5 Mon
天から降ってくる予定の金で、ストライモンのBig Sky(リバーブ)、エレハモの22500(ルーパー)、ベリンガーのRD8(リズムマシン)を買う。直接手で触れられる機材には安心感がある。それぞれ今後の制作のネックとなり得る機材で、新・三種の神器と呼ぶ事にする。

10/6 Tue
三種の神器サウンドハウスから届く。最近はPCの外で音作りする比率を増やす方向に進んでいるが、それは音がどうこうという部分よりも、単純にそちらの方が作業が楽しいからかもしれない。もっとも、その楽しさ自体がスピード感や勢いとなって、音に反映される側面もあると思う。

10/7 Wed
結局ジャケット制作と歌詞の英訳もDIYで、リリース以外はほぼ一人のLPだ。昔、どこかの社長か何かのインタビューをたまたま読んでいると、事業を成功させるコツは、自分でやらずに他人に任せる事、適材を適所に割り振って、皆で協力できる環境を整える事であると言っていて、全くもってその通り、と思ったのだが、自分はやれる範囲の事は(というか英訳みたいに本来やれない範囲の事も)自分でやってしまうので、その結果、成功から遠ざかっているのかもしれない。でも、自分で全てをやることには相応の楽しさがあるし、また、その楽しさ自体が、スピード感や勢いとなって、制作物に反映されるという側面もあると思う。もちろん苦しさが反映される事もあるけど。
DeepL翻訳の精度が高くて英訳にかなり役立っている。

www.deepl.com

10/8 Thu
「Funk42」という、ファンクをバラバラにしたような曲を作っている。とにかく曲を作る。曲は財産だからだ。金を時間に替え、時間を楽曲に替える。その楽曲が再び金に替わる、かと言えば、そううまくいかないが、自分でも気づかない間に、どこかで何か別のものにすり替わっていたりしているかもしれない。

10/9 Fri
ベリンガーの808クローン機であるRD-8に触っているだけでリズムのアイデアが出てくる。スイングの感じも好きだ。スイング55~56くらいのニュアンスが自分の好みだ。

10/10 Sat
「ブギー」というタイトルの曲を作っている。私はいまだにこの「ブギー」や「ブギ」という言葉が、どういった音楽的特徴を示すのか、正確なところを知らない。やや軽めで跳ねた感じのブルース、みたいなのがブギなのだろうか。たとえば「予備校ブギ」が「予備校ブルース」だったら、一気に湿っぽく、悲壮感が出てきたりするし、逆に「港町ブルース」が「港町ブギ」だったら、元とは違う軽快な、溌剌としたニュアンスが出てくる。時代感も10年くらい変わる感じがする。「東京ブギウギ」がブギなら、「ダウンタウンブギウギバンド」は何の集まりなのか?そういったブギをめぐる逡巡が反映された曲になったら嬉しい。

10/11 Sun
「Funk7」という曲を作る。一日一曲、まあ曲というよりは、曲のアイデアだが、そういうものを作っている。
夕方から新宿某所にある関さんの自宅スタジオでチャゲアスカバー配信イベントに参加。ASKAが作曲した光GENJIの「パラダイス銀河」を途中まで「How insensitive」のコードでやってみたが、そういう中年的な音楽の楽しみ方については何もコメントしなかった。誘ってくれた山下哲史とはかつて「山下学園」というバンドで活動していた。初めて定期的にライブハウスで活動したバンドだった。
帰り道、乗り換えをミスって和光市まで行ってしまい、タクシー代が惜しくてそこから3時間、殺風景な夜道を歩いて帰った。小雨が降っていた。

10/12 Mon
朝起きてみると、機材を担いだまま長距離歩いたにも関わらず、身体がどこも痛くなかったので、自分はまだイケる、と思った。次のライブで着るために、QRコードが前面にプリントされたTシャツをデザインして発注した。ASKAの歌詞について、昨日のライブで語り切れなかった部分があるように感じたので、RADIOTALKというアプリで話してみた。

10/13 Tue
太陽を盗んだ男」がNetflixにあったので再見する。この映画を日本映画史上最高傑作の一つに位置付けたとしても、どこからも文句は出ないはずだ。全編ジュリーのPVなのかっていうくらいに沢田研二がかっこ良い。スケール感のあるエンターテインメントでありながら、我々日本人が乗り越えられない深い深いテーマを扱っている。また、1979年(私の生年だ)の空気感がパッケージングされたドキュメンタリー的な要素もある。沢田が演じた木戸誠を超えるキャラクターは、映画だけでなく、テレビドラマやアニメ界を見回しても、そういないだろうなあと思う。

10/14 Wed
沢田研二を見ながら「演じる」という事について考えていた。日常的に自分も、状況に応じて何かしらの役を演じている事に思い当たる。たとえば保育園の送迎時、スタジオで演奏している時、何かの手続きで市役所に行く時とでは、それぞれうっすらとではあっても、どこか違う役柄を演じ分けている。そのような時は決まって、もっと素の自分として振舞うべきなのではないかという様な逡巡に(ごくごくほんのわずかでも)引き裂かれているわけだが、それより、例え日常生活であっても「演じる」という事をポジティブに捉え、それ自体を楽しんで良いのかな、と感じさせられた。
というのは、「太陽を盗んだ男」の中で、沢田研二が仮装して他人を演じるシーン(老人、女性、過激派、そして普段の教師だって仮装と言えるのかもしれない)が何度かあるのだが、それが本当に楽しそうで、演技する喜びが画面を越えてダイレクトに伝わってくるからである。また、この事はこの映画の主題の一つであろう、本来の自分や、本来の欲望、そして発展のために忘却された日本の暗部に向き合う事、のような話に繋がっていると思う。我々は演じている間にその役に成り切ってしまい、演じていた事を忘れてしまう事がある。逆説的ではあるが、普段から複数の役を演じている人物は、自分が役者である事を忘れない。
40年前に封切られたこの映画が我々に投げかける影はいまだに巨大で重い。他にこんな映画を知らない。

10/15 Thu
引き続き「太陽を盗んだ男」を見返している。