Dangerous Mind

Dangerous Mind

1979年製で製造39年、気づけばもうすぐ不惑の四十路に差し掛かろうとする我々は、以前にも増す勢いで境遇の近い者同士でつるんで飲んだり、飲んだり、痛飲したり、通院はまだ個別バラバラだが、そのうちそれも一緒になったりするだろう。いずれギターがゲートボールに変わり、チューナーが体温計に、弦がカテーテルに、薬が薬になったりするわけだ。
しかし、男というのは年を経てますます、何か理由なり目的がないと集まれなくなってくる。昭恵夫人言うところの「男達の悪巧み」というやつで、この会合は何らかの企みなり、計画なりに基づいて執り行われるものであり、将来的に何かしらの果実をもたらし得る有意義な催しである、という口実がない限り、男達は集う事を自らに許さない。男女で異なる性質を挙げよと言われれば、まずその一点である。女同士はもっと気兼ねなく自然に集まれる。だからガールズトークに対置する言葉としてのボーイズトークというものはこの世に存在しない。

ということで、何らかの理由なり目的なりを設定して集う我々だが、結局のところはただ集いたいだけなので、2、3杯飲んだら、当初の予定など忘れてしまい、殆ど何も決まらず会合は終わる。それで良いじゃんとも、ダメじゃんとも思うけど、とにかく無目的にただただ集うという事だけはできない。世の中にある会社や学校、映画の撮影、オーケストラ、市民団体など様々な、目的ありげな集団の首謀者が男だった場合、50%くらいの確率で、実はそもそも集合がしたいがための、集合ありきの集団なのではないかと疑って良い。