Dangerous Mind

Dangerous Mind

赤坂見附でDVDのMA。夕方頃に役目が終わって時間があいたのでスタジオから新宿まで歩く。赤坂、青山、外苑前、信濃町、四谷、新宿二丁目、新宿。それぞれはっきりとした街の表情、「顔」のようなものを見ることができて面白い。地形や位置、前後左右のつながりなどによってそれぞれの場所に人や金が集まり、そこに色んな偶然や必然が絡まって街という渦が現れ、その渦はゆっくりとしたスピードでいまも生成されている。歩いている自分すらも、その一時は渦の一部になって、巻き込まれつつも新しい渦を作り出している。
それにしても、あの巨大なビル群の一つ一つにそれぞれ所有者がいる、というのは何て不思議なことなんだろうと思う。思った後に、どういう点に不思議を感じているのか、考え直してみるのだけど今ひとつはっきりしない。素直な実感として、草月ホール東北新社のビルや伊勢丹ビルなんかを所有する、ということの感覚が全く想像できないのだけど、それはまあビルどころかアパートの部屋一つすら所有したことはない、賃貸物件にしか住んだことがない自分自身の単なる個人的な感覚、慣れの問題なのかとも考える。しかし、それよりもう一まわり大きな不思議な感覚が頭の周辺に漠然と立ちこめているような気がする。なんというか、王も貴族もいない世の中なのに、よくあんなものがバンバン立つなあというか、ものすごく大勢の人の労力と技術が個人のかけ声の元に結集し、ビルのような巨大な物体として目に見えるかたちで立ち現れて、それらがニョキニョキ育つ、という現象が自分にとっては殆ど奇跡のように感じるのだけど、現実にはそういうことが余裕でバンバン成り立ってて、新しくビルが建っても、もはや特に驚きもしない、ということへの驚きというか。奇跡的な事が奇跡的な事でなくなるような経済のシステムのパワーというか(さっきとは考えを改めて、やっぱり絶対王政とか共産制だったらこんなにいっぱいビルは建たないんじゃないかな、と思う)。そして、そのシステムを作り上げたのもやはり人間というか。
まあ、とりとめない感じですが、日常とビルとの間は地続きであるにもかかわらず、そういう不思議な断絶を孕んでいるなあ、と思ったわけです。間違ってもそういう資産家の人への文句とかじゃないです。普通にうらやましいです。

新目白通りにて