Dangerous Mind

Dangerous Mind

間が空いてしまう。たかだかこのような雑文でも継続するのは難しい。密かに毎日10年くらい続けていれば、続いた時点でようやく面白いと思っていたのだが・・。
その間、何をしていたかと言うと、まず韓国にナマ肉を食いに行っていた。GW直前の格安シーズン、たまたま金正恩氏と同じタイミングで訪韓することになった。行った人は皆言うことだが、韓国はとてもエネルギッシュな国だ。食堂で料理の出てくるタイミングが早い。みんな良く食べる。信号機には秒刻みのカウントが付いている。中でも東大門(トンデムン)という街にある洋服の問屋街はほとんど魔境だった。明らかに服が多すぎる。人類がどれだけ増えてもあれだけの服は着きれない。あと、服がかっこよすぎる。見たことないような鋭利なセンスの服が大量に視界に飛び込んできて、こちらの服飾に対する感覚や概念が小一時間のうちに変容していくのがわかる。いわゆるオッサン・オバチャン服(でっかい動物刺繍のセーターとか)で有りながら、同時に現代美術でもあるような、こちらの審美眼をミリ単位で試されるような強い服、強い服、強い服・・が、大量にブラ下がった小さな問屋、が2、300軒くらい同じビルに密集している。しかもその傍らにザハ・ハディドが建てたという巨大なアート施設がそびえ立っていて、尚且つ終夜営業のマルイみたいなファッションビルも数軒おっ建っている。タクシーは走っているが、全く停まらない。夜中だけど全員元気。何なんでしょう、あの街は。街に負けた、という初めて味わう感覚がありました。しばらく間を置いてから、また行きたい。
戻って、サボテンレーダー(バンド)のライブと録音。録音は幕張だったが、ここも変わった街だ。8曲くらい録る。エンジニアのテツさんは、10年くらい前にOWKMJのセカンドをRECしてくれた人だが、不思議な縁でまたご一緒できてとても嬉しい。良い音で録ってもらえた。ベース・ドラムの二人はプレイヤーとして食ってる人達なので、演奏がやはり強い。この人らと合流できた幸運をちゃんと活かしきれてるのだろうかとプレイバック聞きながら不安になるが、それはどのバンドでも、それぞれの意味で同じ事である。初心を忘れてはいけないと、最近つくづく思うので、付箋に書いてマウスに貼る。
その後、俺WKMJでライブを2本。韓国から戻って、バンド表記を勝手に俺WKMJにしている。漢字とアルファベットが混ざっているのがかっこよく思える。秩父花まつりは、いろいろな出会いがある。フルートの拓海君もそうだし、映画「うたこい」監督の西荻さんもそう。大柴に最後に会ったのもここだけど、あの時Mが、わざわざ見に来てくれたのに最前のビニールシートで爆睡してたよなあとか、色々思い出す。ここでしか会えない人が何人かいて、打ち上げなどで再会できると何だか嬉しい。来年花まつりコンサートは20周年とのこと。この場が継続していることが、関係している人々の力となり、新たな縁を生んだり、またかつての自分たちを振り返るきっかけになったり、「祭り」というのはそういう風に、コミュニティの中で機能するものなのだなあと思う。以前、6〜7年くらい、年一度一週間のイベントをやっていた時も、確かにそういう感覚が少しばかりあった事を思い出す。
で、そうやって遊んでばかりいたら当然のように仕事が溜まっていて、そこから先は仕事仕事仕事みたいな感じで、3日くらい家から出なかったり、出たと思ったらクライアントの本社が田無でミーティングが2駅隣だったり、髪が伸びすぎていたり、機械の音を録音しに行ったり、気紛れにMaschineという機材を入れてみて全然金がなくなったりしながら、しばらく、いわゆるDOG-SLEEP状態で走って現在に至ったわけです。