Dangerous Mind

Dangerous Mind

私の小学校低学年の時の同級生にNくんという人がいるんですが、そして私は福岡県出身で今は東京で生活しておるんですが、だいたい一年に1〜2回くらい、このNくんと町でばったり出くわすんですね。今日もスタジオに行く途中の新宿の路上でバッタリ。もう今までに何度もそういう事があったので大して驚きもしないのですが、あらためて考えてみるとこれは相当な低確率。このNくん以外には小学校の同級生なんか、殆ど、というか全くと言っていいほど会わないですからね。一度なんか、職場の近くの吉野家豚丼食べに行ったら、店員としてNくんが登場した事まであって(これはもう奇跡と言って良いと思う)、さすがにその時は本当になんなんだろう、これは一体どういう因縁なのだろうと思うわけですが、しかし、だからといって、この二人は会った時に特別な話をするわけでもなく、その後交流するわけでもなく、適当に一言二言、お互いの近況についての報告などを交わして別れ、また一年後くらいに偶然会う、という活動を、もうこの5年くらい繰り返し続けているのです。
そんな時、私が考えるのは、実は自分の目で今見ている平べったい世界は夢みたいなもので、実際のところは、皆が皆、惑星みたいにグルグルと移動しているのではないのだろうか、その中でたまたま自分とNくんは、一年周期くらいで鉢合わせるような軌道にいるのではないのだろうか、ということ。もう一つ考えるのは、自分自身がどこかよそにある漫画か小説か何かに描き込まれたキャラクターの一人で、よりメタな次元の存在に対して仕組まれた笑いを提供しているところなのではないのだろうか、という事。これは去年、ある映画を見に行ったら客が最初から最後まで完全に自分一人で、なおかつその映画のラストシーンが、映画館に一人座っている男がスクリーンの上からショットガンで射殺される、というものだった時(これは本気で怖かった)にも思った事です。そして、この仮説が間違っている事を完全に証明する事は、おそらくこの地球上の誰にとっても不可能なのであります。
ちなみに今Nくんは多摩の方でキリスト教の牧師をやっているそうです。吉野家バイトから牧師へ。おそらく小説よりも奇なる人生を送っているであろう、君に幸せあれ。
そして私も人生の不可思議さに対してグラスをかかげます。昨日は花見で痛飲しておりました。出会う人たちもいれば、別れる人もいます。春にはビートルズが良く合う気がします。前日の話を引き継げば、卓也くんの葬儀の日には、やたらと色んな場所でビートルズの音楽を耳にしたものでした。葬式の後、登戸のある喫茶店に入ると、そこでもビートルズが。曲はポール・マッカートニーが作った「Hello Goodbye」でした。私はビートルズの中でこの曲が一番好きです。私の2003年4月4日は、完全にこの曲の歌詞と同化しました。4月4日に体験した出来事と、Hello Goodbyeと、そのどちらか一つが欠けていたら絶対に生まれえなかった名付けようの無い何かこそ、私が今までに手にした物の中で最も価値のある、かけがえのない宝物なのです。
HELLO GOODBYE - THE BEATLES