Dangerous Mind

Dangerous Mind

夕刻、仕事を終えて上野の国立博物館敷地内にある映画館「一角座」へ。大和屋竺監督の1973年作品『愛欲の罠』を見に行く。30分前に入館すると観客は自分一人、そしてそのまま何事もなく30分が過ぎて、広い館内にたった一人、真ん中特等席で鑑賞する事になる。館の規模に対してスクリーンは大きく、また音響設備も整っており、椅子も良い。なぜこの環境に自分一人?と思う。内容的には「殺しの烙印」みたいな、個性的なキャラクターの殺し屋同士の男の戦い、主人公の葛藤+女は裸体、という感じで主演はこの一角座を建てた若き日の荒戸源次郎
がらんとした客席に自分一人という時点でかなり奇妙な時間・空間だったのだけど、その間主人公のホシはライバルの殺し屋たちを次々倒し、その過程で心的外傷によるインポテンツを克服し、最終的に非合法組織のボスと対決する事になる。で、この対決の舞台が、何と無人の映画館なのである。ボスは、ちょうど自分が座っているのと相対的に同じ位置に座っているのだ。「おまえがボスか?」「そうだ」くらいの簡単なやりとりがあった後、本当にあっさりと、登場してから僅か15秒くらいでボスは頭を撃たれて絶命。映画内の映画館の前方舞台上、スクリーン前でショットガンを構えたホシを見て、これは次に撃たれるのは自分かもしれないとその時半分くらい本気で思っていて、手で頭のあたりを覆っていたのだけど、ホシは客席にいる自分に向かってお辞儀をして退場、画面右に「完」の文字が現れて映画は終結したのだった。上映後の館内放送(客が一人でもちゃんと流れるんですね)を聞きながら撃たれず良かったと安心したけど、足くらいだったら撃たれていた方がひょっとしたら良かったのかも、というかすかな希望のようなものも心中にはあり、とても奇妙な体験だった。スクリーンの中でお辞儀をしたのが自分が今いる一角座の創設者の荒戸原次郎(の若い頃)である事も考えあわせると、ちょっと考えられないくらいの偶然、というか、偶然と呼ぶものともまた違った、奇妙な巡り合わせを感じる。思い上がりを承知で書かせてもらえば、発表から30年以上が経過した今日の日に、あの場所で、自分が見ることによって、初めて映画が完成された、というような・・・。
以前、一年ぶりに街でたまたま再会した友人が、その翌日たまたま見に行った自主映画に役者として再登場する、というあり得ない出来事に遭遇したけど、それに匹敵する不思議な体験だった。自分自身が映画の中の一部なのかもしれない、と半分くらい本気で思いかけた。しかしそもそも、スクリーンの中の世界が偽で、見ている自分の方が真である、という事の証明は、どう頑張ってもできそうにない。そう思うのだから、そうだ、という事くらいしか最終的には言えないのではないかと思う。あらためてその事を実感した。