Dangerous Mind

Dangerous Mind

インターネットでたまたま、数年前に一緒のライヴに出演したことのある人(面識はない)の訃報を知る。事故か、自殺か、どちらにせよ、自ら望んだわけではない死に追いやられたという印象。できれば生き続けて音楽したかっただろうに、と思う(サイトを見ると亡くなる前後にもいくつかライヴ予定が入っている)。
この数年で、知ってるだけでも5人、同年代のひとが亡くなっている(だから、正直あまり驚かなかった)。全員自殺か、自殺に近い事故死である。日本の年間自殺既遂者数は三万人超で、その数は年間交通事故死者数の三倍であり、イラク戦争で米軍が殺したとアナウンスされる人間の数と同程度である(だから規模的には戦争に喩えることが可能である)。
精神的、経済的、肉体的窮地に陥った時にみずから命を絶ってしまうような人間は弱い人間であり、そして結局のところ弱いやつは死ねばよい、という考え方が、確かにこの数年で、はっきりとしたかたちをとって強まっていると思う。強者だとか弱者だとか、勝ちとか負けとか、本来わかりにくくて白とも黒とも言い切れないような人間の性質、人生的価値を、それほど深く考えず、主に経済的基準でカテゴライズしようとする物の言い方に「負けている」人間たちは翻弄され、自らの生を価値の無いものであると思い込まされようとしている。逆に「勝っている」人間たちは自身がもともと能力的に優れた人間だから勝っているのだ、負けたやつはもともと負けてしょうがないような劣ったやつだ、と思い込まされようとしている。相方ともに、都合よく騙されているだけだと思う。
人生の価値の尺度は人それぞれ、とか、そういうお題目を唱えたいわけではない。そうじゃなくて、そういった言説は現在の社会の仕組みが人間性に対して加えているはっきりとした攻撃であり、その結果の一部として死者が年間三万人以上出ている、友達も死んだ、という事が言いたい。
死にたい奴は死ね、というけれど、本当に死にたい奴なんか滅多にいない、というシンプルな事実が(特に「強者」のあいだで)共有されなくなってきている感がある。自殺の大半は、自ら選んだ死ではなく、選ばされた死であり、当人にも責任があるが、世の中にも必ず責任があるのだ。弱肉強食的な価値観はある意味ロマン的で一定の魅力のあるものではあるが(北斗の拳とか)、それでは現在の社会のひどさが覆いかくされてしまう。しかし「弱い」人間が「弱いから」という理由で死を選ぶ世の中、弱いと生きていけないような世の中は、絶対に、とてもひどい世の中だ。年々ひどくなっている。