Dangerous Mind

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駅への文句

先週から体調悪く、体調が悪いと良い時の状態を忘れてしまって、これが自分のデフォルトみたいに勝手に脳内で設定されてしまい、何をやっても無力感を感じる(まあそこまで大げさなものでもないか)。
ここ数年の体の変化として、以前は年2、3回のペースで風邪をひいていたのがピッタリ年1に減ったのだけど、その分、昔は2,3日ですぐ治っていたのが、一週間以上症状が長引くようになってしまった。この変化を自分はどう捉えれば良いのでしょうか。老化か。むしろ若返っているのか。どちらにしても結果として一年のうち10日くらいは、やたら気力・体力が低下した日々を過ごさなければならない。
しかし、世の中には病気・怪我など何らかの理由で、この辛い状態が毎日、何ヶ月、何年続いている、という人が大勢いるのであり、そういう人たちが少しでも楽に生活していけるように、社会は設計されなければならない。健康な人たちはほっといても健康なんだから、そういう人たちを基準にしなくて良い。
その点、東京の殆どのターミナル駅、良く利用する駅なのでパッと名前を出すけど下北沢駅とかは本当にダメだと思う。駅が最初に建てられてから、高度経済成長期やらバブル景気やら何やらかんやら数十年を経てきて、いまだにこの無駄な段差の多い、明らかに車椅子や杖の利用者の事を考慮に入れてない造りのままなんかい、と利用するたびに思う。それはこの国の社会設計思想の歴史が、リアルに現前する瞬間である。悪い意味での歴史の重みをあの無駄(にしか思えない)な段差や、エスカレーターの無い階段に感じる。
そういう風に駅自体が暴力的な構造だから、満員の車両で優先席に座ってゲームとかしてる若いサラリーマンとかも、特に何も思わないんじゃないかなと思う。自分の考えや、ある種の人格的なプライドを持たない人たちが身勝手で他人を顧みない行動をとることを、その環境が容認・後押ししてしまっているのがこの世の中(この場合は駅)ではないだろうか。こういう風に書くと、おそらく誰もそんなディストピア的状態は望んでないように思われるから、これは改善すべき点であるように思われる。