Dangerous Mind

Dangerous Mind

早朝、ミルナーホテルに集合。スーパーシャトル(タクシーのでっかいやつ)に乗って空港へ。Leeが心配して見送ってくれた。車内に流れていた凄く単純なバックトラック(ドン、タン、ドン、タンと言ってるだけ)のフュージョンに、大雑把なLA感を感じる。
日本で耳にしてもイマイチよくわからなかった音楽がやたらとフィットしているように感じるシチュエーションが今回の旅行では何度かあった。オースティンからヒューストンまで車で、牧場と草原がひたすら続く光景の中をドライヴした時、車中でかけたモータウンのCDは完全に空転していた。その後ラジオに切り替えてから流れて来た白人のカントリーロックやボブ・ディランは完全にその場を捉えていた。個人の好き嫌いや趣味の範囲を超えて、状況を捉える、その場が必要としている音というものがあるのだなと思った。そして、ロックも、ファンクも、ジャズも、ヒップホップも、R&Bも、フォークも、クラシック音楽も、そもそも生まれ育った場所は日本では無い、というとても巨大な事実を初めて体で感じた。
ある音楽がもともと発生した場所には、その音楽に対する必要性、必然性があり、それは個人が持つ趣味性の強度よりも、はるかに強いもののようである。にもかかわらず、自分が普段触れている音楽はどれも、(少なく見積もって)半分以上外国産の要素で出来上がっているものばかりなのだ。日本の伝統音楽は日常生活から後退してしまって、少なくとも自分にとっては、民族音楽の一部というか、エスニックな、変わった音楽としてしか聴こえなくなっている。そして外国の音楽の根っこのようなものは、結局外国に来るまでは良くわからなかった。だから自分と音楽との関係は、とても根無し草的で、身軽といえば、身軽なものである。日本で必然性といえるほどの強度を持ちながら今も現役で頑張れているジャンルはあるのだろうか。演歌はそうなのだろうか。あるいは電子音楽とかの方が可能性があるのかな。どちらも詳しくないから良くわからないけど、身軽な自分としては今度どういう風に身を振れば良いのか考えどころだ。
デンバーからオースティン行きの飛行機は嵐で大揺れ。とても怖ろしい。墜落しても(できれば無傷で)生き残りたいが、これはもう個人の努力ではどうしようもないレベルの話だ。神様仏様に祈りたいけど無宗教なので、適当にしか祈れない。結局無事オースティンには着いたけれども、神、もしくは仏の必要性を強く感じたフライトだった。いついかなる時にも無宗教とか言ってられるほどは、自分は強くはない。結局いざとなったら祈ってるんだもん。
荷物がちゃんと届かず意気消沈気味のユニオン亀山氏と空港で合流。オースティンでの滞在先はSXSWの事務局に紹介してもらったテキサス大学の学生、ポールの家。空港まで車で迎えに来てくれる。家に荷物を置かせてもらってから、近所のテキサス料理の店で夕食。ステーキとタコスが本当にうまい。そして併設されたステージで演奏しているバンドが本当に素晴らしい。(過去、ジャニス・ジョプリンやジェファーソン・エアプレインもプレイした店とのこと)
オースティンはSXSWの前夜祭で既に盛り上がっていたので、ホストファミリーのポールやソール達とバーに。しかしもうビールは飲みたくなかったので、一人で適当に近所をブラついていた。夜中だけれどあったかくて、安全でとても良い街に思えた。

LAから飛びたったところ。窓からの景色はすごすぎるので逆にあまり感動しなかった。ていうか、あの景色に見合うだけ驚く事は自分の脳のキャパ的に不可能。