Dangerous Mind

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After the Fox の分析

自分が良いと思ったり、びっくりしたり、ドキっとした曲を懸命に分析(主に和音)するコーナーを何となく始めます。
第一回目は
"After The Fox"
(Burt Bacharach - Hal David)
同名の映画の主題歌でFOXというのはピーター・セラーズ扮する主人公の泥棒のことみたいです(映画は未見)。
まずは聴いて下さい。

無茶苦茶すごくないですか?
勉強不足な自分には、他に類例が全く思い浮かばない和音の動きです。
正直に言うと、何をやっているのかさっぱりわからなかったので、検索したところ海外のサイトにコード表があり、以下がイントロから一番(Verse1 + Chorus)までの歌詞とコード進行とのことでした。

Intro:
C#m(add2)
/ / / / / / / / / / / / / / / /
Verse 1:
Am(add2) / F9-5
Who is the fox? (I am the fox)
Am(add2) /   F9-5
Who are you? (I am me)
Am(add2) /   F9-5
Who is me? (Me is a thief)
Dm / Am / B
You'll bring your poor, poor mother grief, so
Chorus:
C#m7 / F#7
After the fox, after the fox
F#m7 / Cm7
Off to the hunt with chains and locks,so
C#m7 / F#7
after the fox, after the fox
F#m7 / C#m(add2)
Someone is always chasing after the fox

という感じらしいです。
以下分析。
ですが、この文字だけ、というフォーマットでやるとかなりゴチャゴチャして理解が難しい部分もあると思います。
が、その暗号めいたわけのわからん感じも含めて、適当に楽しんでもらえたらと思います。
まず

【イントロ(4小節)】
C#m(add2)
ちょっとノベルティソングっぽい感じというか、今から何かしらのお話が始まりますよ〜っていう感じの、いかにもイントロ然とした前奏4小節が終わって、歌が始まる(Verse1)んですが、まず歌い出しでいきなり長3度下のAmに転調します。
【ここで転調について】
転調の中では、長3度並行移動の転調というのが一番元の長から遠く離れた転調な感じがします。
その理由
転調先の度数を違和感の少ない順に並べると
1 まず完全4度、完全5度は調号一つだけの変化ですむ(CからFならシがシ♭に CからGならファがファ♯に、一個だけ音を変化させればよい)
2 半音上下、全音上下までは並行に移動したんだなあという感じ。半音だと調号は激しく変わるけど、とにかく上下に一つズレたんだ、という感じ。全音もまあそんな感じで調号変化も2つ
3 短三度上下については同主調への変化と同じ(C→E♭=Cm C=Am→A )
4 増4度は音的には±6なので対岸というか、遠いんだけど、ドミナントを介した転調だと和音の構成音的に近い(C7<ド・ミ・ソ・シ♭>→F#7<ファ♯・ラ♯(=シ♭)・ド♯・ミ>)代理として入れ替われるコードなのと、C7→Fという動きでF#までいっちゃって行き過ぎた〜みたいな(主にギタリストっぽい発想の)ニュアンスもあり、まあとにかく無くはない感じがする。
あと、音的に一番遠いと「一番遠い音」として、良く使われがちというか。
豚丼よりも牛チョコ丼とかの方がかえってポピュラーな感じというか。
という風に自然に感じる順番にリストしていくと、消去法で一番ラストに長三度がやってくる
と思う。2位、3位は順番逆かな。まあ、そんな感じ
----
という、激しい転調がいきなり最初に現れて、注意が促されるというか、今から変なことが起きますよ〜、そういう曲なんですよ〜、というアナウンスが歌う間際になってなされる。
普通はイントロというのは、歌手が歌い出す前に曲のキーやテンポを提示する役割も担っているので、歌う間際にこういう転調されると、聴いてる身でもドキっとするし、イントロとしての役割を放棄して、逆に歌い手を困惑させるような困った作りに敢えてしている。
で、
【Verse1】
キーAmで、そんな激しい転調にもめげずに歌が入ってきて一番

Am(add2) / F9-5
Who is the fox? (I am the fox)

ここは掛け合いで1小節目のAm(add2)がhollies、2小節目のF9-5がピーター・セラーズです。
テンションB音が持続
2小節目のF9-5の構成音はファラシミ♭ソ。
並び替えるとミ♭ファソラシ。
全音が5つならびます。
なんというか歌詞の内容にもリンクして、F9-5のところに独特のはぐらかし感というか、繰り返しによるスっとぼけ感がないでしょうか。
これは全音階の持つ浮遊感のもたらす効果だと思います。
ここは二者間(ホリーズ vs ピーター・セラーズ)の問答形式になっていて、

Am(add2) / F9-5
Who is the fox? / I am the fox
フォックスって誰だ?/俺がフォックスだ
Am(add2) / F9-5
Who are you? / I am me
お前は誰なんだ?/俺は俺だよ
Am(add2) / F9-5
Who is me? / Me is a thief
だから俺って誰だよ/俺はただの泥棒さ

三回尋ねてようやく、(しかも居直り気味で)泥棒が正体を明かしてくれる、と。

Dm / Am     /B 
You'll bring your poor, poor mother grief, so
お前の母ちゃんは、かわいそうに、お前の事を嘆いているよ

この4行目は問答ではなくなっています。これは3行目で泥棒という正体をバラしたFOXが次のターンでは、ドロンと逃げてもういなくなっている、ということを表しています。
で、最後の小節の最後の拍の一瞬だけ、AmにとってはII番目、次のキーであるC#mにとってのVII番目のコードであるBを介してChorusへ
【Chorus】
またイントロと同じC#m、Verseの長三度上のキーに復帰します。

C#m7 / F#7
After the fox, after the fox

で、次の行が一番問題で

F#m7 /  Cm7
Off to the hunt with chains and locks

ここのCm7!!
実際聴いててすごいゾワっとしませんか。
今までトボけた風味で親しみすら感じさせるような悪党が、一瞬だけ本当の凄みを見せたような、そんな瞬間。
まあ歌詞的には
Off to the hunt with chains and locks
狩りに出かけよう 鎖と手錠持って
なので、捕まえる側の視点なのだが。
でも chains and locks なんて言われると何かSM的な感じというか、そういう人を捕まえる時の具体的な道具にわざわざ言及するっていうのは、それまでのノベルティソングっぽい感じから、急に現実的で、よりダークなフェイズへ歌詞がシフトしている、と言ってしまって良いんじゃないでしょうか。
で、問題の4小節目のCm7
これは一体なんなのか
2つ考えられると思うんですが
1 キーC#mがここだけ、コードの型は同じマイナー7のまま並行に半音下がっているという解釈
解釈というか、まあそのままそうなんだけど
C#m / F#7 / F#m7 / C#m (Im / IV7 / IVm / Im)
っていくべきところ(Chorusの三行目、四行目のような進行)が、C#mの代わりにCm (VIIm)
もちろんこれだけで十分ショッキングなんだけど、でもこのCmがこれだけ効いているのは
2 転調前のAm(=C)の同主短調であるCmに一瞬転調している
という解釈も成り立つというか、このダブルミーニング感が、これだけゾワゾワさせられる原因なんじゃないかと思うんですよね。
もし仮にこの曲が一貫してキーがC#mで、問題の部分だけ半音下のCmに転調する、という構成だったら、これだけゾワゾワした感じが出るだろうか?
やはり、事前にVerse1でAmに転調して伏線を張っているからこそ、これだけ効き目がある、ゾワゾワするような感覚が生じるのではないでしょうか。
最初に無理めな長三度下への転調をシラっと通しておいて、さらにそれを上回るような衝撃度のAm絡みのダブルミーニング転調をサビの中央でかましてくる。
また、Verse1のキー絡みのコードを一瞬だけ挟むことで、逃げ出したはずのFOXが、実はまだ辺りにいて、陰でこちらを見張っているような、そういう不気味な演出を感じることもできると思います。
こういう流れがあるからこそ、サビの衝撃度というか、他に類を見ないゾワゾワ感が出るんではないでしょうか。


で、一番不思議なことは、自分(リスナー)は「お、最初に長三度下がったぞ」とか「と思ったらサビでさらに不可解な転調きたー!解釈としては2つ考えられる。まず1つは・・・」「だから衝撃度がさらに上回ってゾワっとするんだ!!」
とか考えながら聴いているわけでは当然ないのに、そういう論理的な手続きみたいなものを全部スっ飛ばして、結論である「ゾワっとする」という感覚が、ダイレクトにもたらされるという点です。
これは本当に不思議なことだと思う。
わからないのに、わかるということ。
会話に喩えるなら
何を言っているのか聞き取れないのに、本意は先に伝わってくる
という、まるでテレパシーみたいな例に喩えられるんじゃないだろうか、と思います。
あるいは目隠しをしてジェットコースターに乗っているようなものなのだろうか。
自分が10m落ちたのか、30m落ちたのかはわからないけど、その衝撃度の差は身体で感じる事ができる、というような事に喩えられるのか。
いや、2番目の喩えは少し違う気がするな。
とにかく、これは本当に不思議な事です。



もちろん作曲者が、これらの事を全部計算ずくでやっているわけではないと思うんだけど、同時に計算してないわけでもないと思うんですよね。
その辺のバランスは微妙で、決してどちらかだけ、ということはありえないと思う。
ものを作っている時の人の思考の流れは、当人にも捉えられないくらい微妙で複雑で多方面を向いたものだと思います。
で、そういう時に自然なかたちで現れるものは、それまで蓄積してきた経験や知識で、逆に言えば、そうやって自然に出てくるようになるまで熟成していないと本当に身についた知識とはいえない気がします。
というわけで自分も少しづつ精進していきたいものです。
ちなみに1966年の映画なのでバート・バカラック37〜38歳くらいの作品でした。






今後このコーナーでやってみたい曲
MAXINE (donald fagen)
DEACON BLUES (Steely Dan)
Pannonica (Thelonious Monk)
Alone Again (Gilbert O'Sullivan)
A flower is a lovesome thing (Billy Strayhorn)
How Incensitive (Antonio Calros Jobim)
Moon River (Henry Mancini)
Desafinado (Antonio Calros Jobim)
Corcovado (Antonio Calros Jobim)





次回へ続く