Dangerous Mind

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国パパ 五輪

予定に書き忘れてたけどこの前の日曜日はhenrytennisの奥村くんとのユニット「国パパ」でライヴでした。何の打ち合わせもしなかったうえに当日雨が降っていたために出発する気がなかなか起きなくて、本番がちょうど始まるくらい、正確に言えば4,5分遅れてたと思うんですが、それくらいに到着して、一体どうなることかとドキドキしたのですが(それはつまり全部自分のせいなんですが)、奥村くんと自分がそれぞれ持っている質の異なるヒドさが時間の経過に応じて場になじんでいきつつ二人が混ざり合っていった面白いセッションになりました。今仮に地球の人口が70億人だとすると、見逃した69億9999万9992人くらいの人は残念でした。何かこういう感じの「即興」と呼ぶには余りに出会い頭的な、どっちかというと一発芸とか、ただ単なる日常生活の中でのテンション高い時間帯とかに近い、楽器よりも人間性が直接ぶつかる感じのセッションを今後も機会があったらやってみたいと思いました。
全然話し変わりますけど、北京オリンピックの開会式が凄すぎて、もう自分に至ってはあれ見て人生観すら少し変わったんですけど、TVや雑誌で話題になることといったら、少女の口パクだとか、花火がCGだとか、あの開会式が放っていた圧倒的な芸術性と馬鹿らしいまでの熱量と煌めき(過去の映像ならともかく、リアルタイムであんなものが見られるとは思わなかった)に比べると、ものすごくどうでもいい揚げ足とりがメインで、本当に腐ってるなーと思いました。詳しく知らないし興味もないですけどナショナリスト的な立場でいるはずの福田和也とかもSPAで「さすが偽装大国」とか単なる茶化しで終わっていて、そういう事じゃないだろ、とコンビニで立ち読みしてて普通に腹が立ちました。もし国を愛しているのなら、あの圧倒的な開会式の映像と、そのバックで執拗に流れ続けるSMAPの腰が抜けたようなヘナヘナした歌唱のギャップに何かしら焦燥や怒りのようなものを感じた方が良いのではないでしょうか。俺はあの大会テーマソングこそが今の日本だと思ったし、そのジングルが流れたあとの五輪誘致のCMで萩本欽一に「日本でやりましょうよ」とか言われて「絶対イヤだ」と即、思ったね。