Dangerous Mind

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ベース・カルチャー レゲエ~ジャマイカン・ミュージック

ベース・カルチャー レゲエ~ジャマイカン・ミュージック

夏休みの読書として(まあ一年を春休み、夏休み、秋休み、冬休みに四分割して、そのうちの夏休み、という意味ですが)読んでいるレゲエ・カルチャーの本なんだけど、無茶苦茶面白い。ものすごく乱雑に分類するなら自分は中高域の音の文化圏にいるというか、低域が重要な役割を果たす文化に対しては自然と疎遠になっていく傾向があって、また、それだけに異文化に対する憧れのようなものもあって、その時のモードによっては殊更ベースを重要視したりもするのだけど、そして自分と同世代か、それより上の世代の多くの日本人にとっては、低音との付き合い方とは大方そのようなものであるように感じられるんだけど(渋谷とか東京の大都市は制御されようのない低周波が街中を暴れまくっているので、ますます音を中高域寄りにチューニングしないと、もはや何も聞こえない。駅前交差点近くのマツモトキヨシビックカメラが二件並んでいる辺りにて思う2008年7月25日)、そんな低域と自分との距離感をもっと国際的な視点から適正に調整するうえで、知っておくべき情報(というか伝説)が沢山載っていて、読んでてワクワクするし、考えさせられる。
昔ヤマツカアイさんが、何かの雑誌のインタビューで自分が自然だと思うバランスで曲作ったりミックスすると低音がなくなってペラッペラになる、みたいな事を言ってた気がするんだけど、自分もまさしくそうで、それだけに逆に不自然に低域を出し過ぎちゃったりもして、でも国産の音楽を聴いていても、何だか日本という場所自体と低域とはあまり相性が合ってないもののように思えるので、その辺の事柄が昔から気になっている人にとっては必読の書なのではないかと思う。
まあまだ1/3も読んでないのだけど。(二段組みで550ページくらいあって、本の体裁自体にも重量感というか、低域を感じるつくりになっている)
個人的にはフリクションのCDの一番最初のやつ(「軋轢」、かな?)の不思議なくらい低域がない、ペラッペラした質感が、今まで聴いた音楽の中では一番よく日本を表しているような感じがする。ライヴで一度だけ見たんだけど、無茶苦茶ベースの音量でかいのに、なぜか全然低域が無いように感じられて凄まじかった。あれは一体何だったんだろう。