Dangerous Mind

Dangerous Mind

何らかの正しげな事、道理としては納得せざるを得ないような事を目の前に提示されて、しかしそこに何となくの違和感、何かしっくり来ない感触が残る事がある。そのしっくり来なさこそが自分なのかもしれない。何がしっくり来ないのかは、その時点でははっきり言語化できない、殆ど予感のようなものなのだが、後々、それこそもう何年も経過して、それ自体忘れかけているようなタイミングで、不意に理解できる事がある。その時、そのほんの少しの差異こそが、自分だったのだなあと気づく。
だから、おぼろげにでも違和感を感じる出来事に遭遇した時、その時点ではうまく反論できなかったり、表面的には納得したような態度を取らざるを得なかったとしても、その違和感自体を無かった事にしてしまってはならない。それは自分を失い、自分を擦り減らす行為だと思う。
もちろん、その違和感が、後から振り返ってみて間違いだったように感じる事もあるのだが、重要なのはそうして何年かかっても良いから、自分の感じた違和感を自分で回収することだと思う。