Dangerous Mind

Dangerous Mind

取留

取り留めない話ですが
即興とは瞬間的な作曲であり、両者に本質的な違いはないという事は割とよく言われるけれど、その場の一瞬で出た何かと、数時間、数日、数年の試行錯誤を経て、不要に思うものは捨て、必要に思えるものだけを残して固定化させる作業とは、根本的に異なるものなんじゃないかという気は昔からする。
少なくとも、書と小説くらいの違いはあるのではないか、と思ってしまう。
また、作曲というのは、なんだかんだいっても要素の組み合わせで成立する側面が強い感じもする。
特に商業音楽の多くは、完成品として既に存在している別の音楽のルールやマナーを、引用したり、組みわせて作られた合体ブロックのようなものに感じられる。
しかし即興演奏において、そういうものが出現する余地は余りない。
ところで、そういう音楽ブロックの組み合わせ的な作曲ではなくて、音楽以前の根源的衝動のようなものを、作曲された音楽作品のかたちに落とし込むようなことが可能なのだろうか。衝動といっても、一生懸命、魂の奥底から歌う、とかそういう事ではなく(それは演奏の領域の話なので)、あくまで作曲行為として。
バッハの音楽はそういう感じがした。音を律するルール自体を作曲者が更新しているからなのか。
音楽というよりは、数的・天体的要素が人の魂と審美眼を経由して、音楽のかたちとして現れるような仕組みを構築している。
音楽以外の領域からやってきた何かを、音楽のかたちに落とし込むというニュアンスが強ければ、そこには、既にあるブロックの組み合わせではない、魂が直接関与するかたちでの作曲というものが行われる可能性が生じるのかもしれない。
逆に即興演奏では、特にジャンルやルールが不明瞭な、ただただセッションとしか言えないような即興では、そういう合体ロボ的な音楽を構築する事はなかなか難しい。
なので、即興が一種の作曲行為であるとするなら、それは合体手法とは異なる作曲の方法だとは言えそうである。
そこに何かしらの何かがあるのかもしれません。