Dangerous Mind

Dangerous Mind

演奏前の或る出来事

サウンドチェックと本番の間は大抵、手持ち無沙汰だ。ちあきなおみを聴きながら、代々木の街を歩いていた。携帯に同級生の訃報。M君は何だか不思議な奴だった。成績優秀で人当たりも良く、本人が望むなら、クラスの、学校の、あるいは地域のリーダーくらいには今すぐ成れそうな、そんなポテンシャルを備えていながら、同時に、自身のそういった、わかりやすく秀でた部分に対して、どこか遠慮している、自分の本領を全開にする事を何だかためらっている、そんな印象を抱かせる少年。中学を卒業してから多分一度も会っていないけれど、彼が今どんな事をしているのか、当時どんな事を考えていたのか、ふと気になる事があった。ボンタン全盛Be-Bopな我が学生時代には珍しく、いつもストレートのズボンを履いてたっけな。
散々歩いたうえで、結局ライブハウスの隣の「生姜焼き大学」みたいな、変わった名前の食堂に入った。「立教大学」というメニューを注文するが、要するに単なるチキンカツ定食だ。食べている途中、雨合羽のようなものを着た(雨は降っていない)お婆さんが入店してきて、注文せずに一向に店主夫婦と喋っている。喋っている、というか、ほぼ一方的に厨房の脇から語りかけていて、夫婦は調理しながらという事もあって防戦一方。で、その内容がほとんど、お通夜とお葬式の話題なのだ。なんでも、夫婦どちらかの親族が一月ほど前に亡くなったらしく、もう大方落ち着いたし、心の整理もついたので、と話を切り上げようとするのだが、でも悲しかったでしょう、辛かったでしょう、と、どうしてもその話がしたい様子の老婦人。
自分は、チキンカツというより、その奇妙な取り合わせを味わっていた。旧友の訃報と、たまたま入った店で耳にする、延々とリピートされる葬儀の話。事実は小説よりも奇なりとは良く言うが。で、その時「Crying」という曲が店で流れ始めた。デヴィッド・リンチの映画で泣き女が歌うあの曲、の英語バージョン。永遠の別れについての歌詞だったね、確か。街の食堂で頻繁にかかる、とは言えない曲。
これら取り留めのない出来事の奇妙な連なりに、元々そこに存在しない意味を恣意的に見出し、その日の夜のうちに嬉々として書き記しているのは、生者の驕りか。でも、今日遭遇したささやかな偶然を自分はなるべく忘れたくないし、見逃したくもなかった。この事を誰かしらに伝える事が、一種の追悼なのかもしれないとすら考える。妙な論理である事は承知の上で。
もし人に魂があるのなら、Mと自分との距離感から考えれば、きっとこの程度の虫の知らせが丁度良かったのだ。ご冥福をお祈りする。