Dangerous Mind

Dangerous Mind

一昨年くらいから無善法師はガン研究に凝っていて、店の壁の全面には手書きの研究レポートが貼ってあるし、話す内容も殆どガン関連の事ばっかりなのだけど、彼の言うにはガン予防の観点からいって、低体温というのはかなりNGで、そして俺は平均体温が35度台の低体温人なのだった。ということで、店の壁一面に貼られた手書きのレポート等に脅され、昨年から朝起きたらまず適当に外を走って、その後長風呂に入るようにしているのだけど、以前は1分で出ていた風呂に20分入るわけで、当然のように20倍暇ということで、風呂の蓋を机代わりにして、本を読み始めた。
今まで数冊の本を試したわけだが、朝という時間帯に合う本、合わない本というのは明白にあり、何かのマニュアルだとか、ディスクガイドとか、雑誌のように、区切られた内容が雑多に詰め合わせられたような形態の書物は、基本的には朝に合わない。そうではなく、朝読むのに適しているのは小説とか、長い対談集とかで、とにかく前日の話に今日の話がつながり、今日の話に明日の話がつながっていくような、そんな朝の20分、30分が日常生活から独立した状態で、連続的、直線的に紡がれていくような、そんな体験を、朝という時間帯が自分に要求し、課している感じがする。
内容的にはなるべく明るい内容のものが良いのだが、ここで言う「暗さ」は、どちらかというと停滞感や減速感に近いニュアンスであり、そういう点で「吾輩は猫である」を読んでいた何週間かの間、朝から何だかペースが乱れて不調だった。
また、このことで、朝の連続テレビ小説というものの存在意義がわかり、前シーズン、不評のうちに終わった「愛と誠」に出てくるジャニーズの中ではあまりかっこよくないとされているらしい人に似てますね、とやたら人に言われるようにもなった。
逆に昼の電車内等で読む本は雑誌が良い。そこは日常生活から独立した時間を紡いでいくにはあまりにざわざわしていてうるさいし、イレギュラーな事も起こりやすいので、楽に出たり入ったりできる雑誌の方が向いている。
このように時間帯によって、合う読書と、そうでない読書というものがある。選択を誤ると生活のグルーブが損なわれる。それは音楽に例えれば、ハイハットやスネアの音色選択を間違え、本来発生していたかもしれないグルーブが損なわれる、というような話だ。