Dangerous Mind

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キャンプファイアー

堂平天文台にて行われたCAMP FIREは、なかなか一言で表現するのは難しい、すさまじいイヴェントだった。防災上の問題があって、実際にキャンプファイヤーがあったわけでは無いのだけれど、会場全体は明らかに燃えていた。それはやる気だとか情熱だとか、人の心が発する熱をたたえた炎ではなくて、もっと無慈悲な感じの、自然界に何かしらの偶然によって発生する冷たい炎で、点火というよりは出火する類の火だった。そして、自分たちが到着した午前二時から午前六時くらいまでの時間帯にその火量はピークに達しているように感じられた。
場内にはDJブースとライヴ会場が設置されていたが、その二つのステージの距離は大胆に近かったので、基本的にどこにいてもDJの音がきこえるようになっていた。そしてDJブースでは、自分が認識しているだけでも最低4時間以上、同BPMで同音量の4つ打ちが絶え間なく流れていた。その音は、風や月や地面のように会場の環境を構成する基礎的な要素に仲間入りするには些か存在感がありすぎたので、山中にはうっすらとした違和感が層をなした雲のように漂着しており、疲弊と微熱が入り交じったビートがその中を慣性の法則に乗って着実に配給されつづけていた。そして、それはなぜかとても心地良く感じられた。
上半身裸の男が一人か二人、ゆらゆらと体を揺らしながら会場内を移動している様子が見えたが、殆どの人はテントか山小屋に入って休んでいるようだった。夜中の三時で、しかも山中なのだ。虫すら寝る時間だ。
ライヴエリアの音響は想像していたよりもずっと良く、ステージの裏側の闇に音が吸い込まれていく様子が目に見えるようで爽快感があった。PAさんは三つ並べたイスに横たわり、毛布の中から指一本だけ出してすべてのオペレーションをこなしていたが、それで全く問題はなかった。我々は特に理由も無く、テントの照明を消してもらって真っ暗な中で演奏した。演奏は悪くない出来だった。
主催の東京ハローズの面々は皆一様に同じ表情をしていた。目がぼんやりしていて、通常時より会話の反応が二秒くらい遅れているように感じられた。彼らはおそらく疲労を越え、憔悴の数歩手前にいた。
ハローズ主催のイヴェントには数年前から何度も声をかけて呼んでもらっているけど、今回のCAMP FIREはその完成型だと自分は思った。そこは天国に似ているが、地獄にも似ている場所だった。昔遊んだゲームの最終面にも似ていたが、そのゲームはドラクエやFFではなく「たけしの挑戦状」か、「アトランティスの謎」のどちらかであるように思えた。
個人的な話をすれば、それは大柴が絡んでいた頃の日本ロックフェスが踏み出そうとして、結局踏み出せなかった領域であるようにも思えた。やりたいなら、やるということ。やれなくても、やるということ。心に残る企画というのは、その企画自体がメッセージになり得るものだ。場所や時間が、そのままメッセージになって、関わった人間の中に何かしらの形でとどまり続ける。彼らは特に目立つような気合いも見せず、みんなで協力して、いつの間にかフニャッとそういう場所に入っているように感じられた。それは、とても素晴らしい遊びの時間だった。
また来年あると良いなと思った。