Dangerous Mind

Dangerous Mind

2019.7/16~7/31

7/16 Mon
映画「ザ・サークル」見る。面白くなりそうな要素に溢れていながら、ほとんど面白くならない、消化不良感に満ちた映画である。
検診に行く。今すぐ出てくる気配はない。

7/17 Wed
入院等のことで心配事多く、水の音楽が進まない。眠気をおさえるために10分ほど寝ようとして、そのまま数時間寝てしまう、というのを繰り返す。
気ばかり急っていて、実際のところは寝てばかりいる。

7/18 Thu
「Blues5」PVの編集作業。映像は、編集の仕方によって、様々なストーリーが発生していく様子が面白い。
ストーリーは、映像と、見る人との間に発生するので、映像内の情報純度が高ければ高いほど、ストーリーは誤解なく伝わる。逆に情報の純度が低ければ、受け手の側がそれを補ってストーリーを作り出す余白が生じる。そのさじ加減を時間の経過とともに上手にコントロールできているのが、上質な作品だと思う。しかし、そんな上出来な作品は稀で、監督の手元に狙い通りの素材が集まる事も余りないので、良くも悪くも作り手の意図していないもの、予想を超えたものができあがる。そういう生物っぽさが、映像にはある。音楽よりも、さらに不確定要素が多く、コントロールしにくいところ、ある程度運任せなところが、面白い所だと思う。

7/19 Fri
水の音だけで曲を作っているが、難しい。例えば水滴をリズムにしたりするのは、いかにも説明的で、ありきたりな感じ。気を抜くと、小山田圭吾が20年前にやってたような曲になってしまう。
別にありきたりでも上質ならそれで良いのだけど、上質なありきたりを成り立たせるのは、それなりにセンスの要る技だ。

7/20 Sat
出産予定日が迫ってきた。比較的、乳幼児と一緒に入店するにはハードルが高いと言われる炭火焼肉へ。

7/21 Sun
夜中に一念発起して壁際にあったソファを窓際に移すと、不思議と気分が変わって物事に集中できるようになったのだった。

7/22 Mon
停滞していた音楽制作が軌道にのる。部屋の模様替えにより、作業効率が上昇したのか。部屋にある物たちは住人に対して無言のメッセージを発しているのだ。

7/23 Tue
Blurの「Girls and Boys」の、ギターとコーラスの不協和な良さ、の謎を解明したいと、高校の時に思って、それから20年以上何もやっていない。Blurってなんか不思議なバンドなんだよな。ダイレクトに良い部分が余り無い、が故の、良さ、というか。
その昔、リボルバーに入っているポール・マッカートニーの曲「Got to get to into your life」を初めて聞いた時、ブラスが入ってきて、おお、これから盛り上がるのか、と思ったら、肩透かしで「パパッパー」とか言ってすぐ終わっていく、その展開に、諸行無常というか、人の道を外れた非道さを感じたのだが、それに通じる肩透かしなセンスがあると思う。それがイギリス、ということなのかもしれない。それはきっとコウモリ傘とフロックコートの下に何かを隠し持った変態紳士の文化である。

7/24 Wed
14時に妻入院する。「誕生」というプレイリストを作る。お産に臨む、まさにその時、自分にできる事はそれくらいしかなかった。あと買い物とか。せいぜいストレスの種にならぬよう振る舞いに気をつける。いざと言う時、男にできることは、それくらいしかない。

7/25 Thu
久しぶりの晴れ。朝から促進剤を投入。・・物凄く辛そう・・、隣の部屋から別の女性のうめき声が聞こえてくる。出産に臨む妊婦だけが入院する産院のこのフロア(2F)は、文字通り生死のかかった現場で、戦場のようにピリピリしている。「誕生」プレイリストなどは流す余裕はない。というか、音楽自体、必要とされていない。廊下で、うっすらと、聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームでモーツァルト(多分)がかかっている。
夕方まで頑張るも、この日は誕生せず自分は帰宅。翌朝早朝に産院へ行く事に。

7/26 Fri
私はその朝、まず近所の神社にお参りに行き、その後コンビニでコーヒーを買って店の前で飲んだりして、比較的優雅に過ごしていたのだった。そしたら、電話がかかってきた。早朝の病院で、妻は手負いの獣みたいに暗い部屋で唸っていた。血圧が上昇している関係で部屋を暗くしているとのこと。隣の部屋から別の妊婦たちの絶叫が聞こえ続ける。お腹の中の赤ちゃんの心拍を計測する機械にはコンタクトマイクが付いていて、その音は馬の蹄のようなので、馬に乗った我が子がこちらにむかって砂利道を駆けてくる様子が脳裏に浮かんだ。
結局、朝一番の医師判断で帝王切開となる。処置室の鉄のドアの前でしばらく待っていると、猫のような「アアー」という鳴き声が聞こえ、それは娘のこの世での第一声だった。それは、やはり、とても美しい声だった。そして、赤ん坊を初めて膝に抱いた時、重量にも美しさがあるという事を知った。

7/27 Sat
前日、博多から応援に来てくれていた母親を東京駅へ見送る。面会可能時間まで間が空いたので、ステーションギャラリーでメスキータ展を見て、15時に病院へ。赤ん坊は初めて両目を開けて、その眼を見せてくれる。乱反射して、焦点を結ばない幸福。

7/28 Sun
娘は今日初めて乳を飲んだ。沢山飲んだ。誕生以降、音楽の歌詞の意味が全て更新されて聞こえてくる。以前は陳腐にも思えたJ-popの歌詞が、異常に心に入ってきたりする。ウルフルズの「バンザイ」とか、何て心にフィットする曲なんだろう、と思う。Beatlesのsomethingの歌詞が全て自分の娘の事を歌っているように思える。

7/29 Mon
帰宅して、引き続き「Blues5」PVの編集。1カットだけ追加で撮影したい箇所が出てくる。そのカットがあれば、この短い物語にも何かしらのオチが付きそうだ。Nさん、A君が病院に見舞いに来てくれる。その後、一人で公園に行き、使い古したネクタイを木に引っ掛けて、それが風に吹かれている様子をipadで撮影する。

7/30 Tue
子の名を考える日々。生まれる前に検討していた候補が幾つかあったが、そのうち好々(ここ)ちゃん、好(はお)ちゃん、仙阿(せな)ちゃん、雷鳥、などが早々と候補から消えた。
名付けというのは、親が子に与える最初で最後の究極的な詩だ。何せ、1文字〜最大5文字くらいで、祈りにも似た気持ちを子に託し、これから生きていく世界に対して、表明しなくてはならないのである。
名付ける者の価値観や、世の中に対する姿勢、またバランス感覚のようなものが総合的に表現される、強制参加の詩会だ。
会のルールとして、読み辛かったり、意味がわかりにくかったり、ネガティブに捉えられる字は敬遠される。使用できない漢字も結構ある。字画というファクターもある(うちは気にしないが)。その時代の名付けトレンド(ちなみに今は所謂「キラネーム」への反動から、やや復古趣味な傾向を感じた)との距離感の調整も大切な要素だ。
音と意味、そして苗字との組み合わせによって、生きる名もあれば、光を失う名もある。
生まれてきた赤ん坊の外観が呼ぶ名もあれば、避ける名もある。

これまでの知見を総動員して、最適解を導き出すべく、悩む日々。

7/31 Wed
赤ちゃんに聞かせるためのプレイリストを作る。一曲目は「ケ・セラ・セラ」。
ある日、娘が母親に尋ねる。私は将来、美しく、豊かに、幸せになれるかな?
母親は答える。未来のことなんかわからない、なるようにしかならない。
ケ・セラ・セラとは母親の造語の適当なスペイン語
クールな歌詞と甘ったるいメロディの組み合わせが最高な曲。
娘はやたら覇気のある、物凄い飲みっぷりで乳を飲むので、見ると笑ってしまう。