Dangerous Mind

Dangerous Mind

2020.6/16〜6/30

6/16 Tue
「暗い朝」の作業は1日殆ど前進せず。難曲だ。
娘と一緒に「デヴィッド・ボウイ 最後の5年間」を見る。周囲のバンドマン達の作る曲をあらためて思い起こしてみると、ボウイの音楽的な影響力は、世界の辺境、日本の音楽界の、更にその片隅にあっても、いまだにとても大きいという事に気付く。

6/17 Wed
アルバム制作作業がやや息切れ気味。娘もとうとう預けられている事実に気づいてしまったらしく、保育園で泣いてしまったとのこと。
夜、読書会にて「問いを立てる技術」という本を読んだが、活発な意見交換もあり、良い会だった。

6/18 Thu
Millenium Parade「Fly with me」は分析しがいのある、多層的でハイコンテクストなすごい曲だ。分析は必要な行為なので、思い出したようにやるのではなく、習慣化していきたい。

6/19 Fri
MIDIを常時録音してバッファしてくれている機能が欲しくてcubaseを10.5にバージョンアップする。

6/20 Sat
15年使ってきたシャープの洗濯機を、新型の省エネ・節水タイプに買い換える。子の誕生以来、洗い物が圧倒的に増えて水道代は3倍になったが、これは洗濯機が古いせいもあったと思う。

6/21 Sun
サスペリア」のリメイク版はわけがわからなかった。物語の鍵になっているっぽい、ドイツ赤軍についての知識がないと難しいのかもしれない。
Hさんから大量に積み木のお下がりが届いてありがたい。

6/22 Mon
真美鳥のレコードを出しているフランスのレーベルからオファーがあり、アナログでソロアルバムをリリースすることにした。日本の41歳が突如作った、全曲日本語詞の、おそらくフォーク(?)的な作品を聞いて、フランス人は何を思うのだろうか。詞の英訳はつけようと思う。

6/23 Tue
アルバム全体を手直しする。「それ」の歌をもう一度歌い直す。

6/24 Wed
LPのジャケット等、どうするか考えなくてはいけない。

6/25 Thu
ギターの弾き方がようやくわかった。左手の親指はほとんど添えるだけで良いのだ。今まで、親指に力が入り過ぎていたせいで、指の移動がギクシャクしてしまっていたのだ。

6/26 Fri
機材を整理して、ギターのエフェクター類を左手の机上において操作できるようにする。もっと制作に積極的にギターを入れていくためには、こうした方が作業しやすい。コクピット化が進む。

6/27 Sat
アルバム制作は仕上げに近づき、細かい部分を直す、という段階に入りつつある。
仕事で、レイドバックした70'sソウル、みたいな曲を作っている。このジャンルはいくつか定番のコード進行があって、そのパターンから選ぶ、という印象で、その中で個性を出すのは音色だとか、リズムの揺れだとか、まあ間違いなく一番は歌唱だが、今回インストなので、工夫が必要である。
といっても、語弊もあるだろうが、意外と、個性がない感じこそが、このジャンルの個性、なような部分もある、気がする。
どのジャンルにも様式はあるが、それがある程度、ルールと言えるくらいハッキリしているジャンルから、ボンヤリしているものまで濃淡は様々である。

6/28 Sun
いわさきちひろ美術館で展示されていた瀬川康雄(「いないいないばあ」の画家)の絵が衝撃的で、画集を購入する。
夜、娘の散髪のついでに、自分の髪も切ったが、後ろ髪も含めて思っていたよりもだいぶ楽にできた。今後の人生、セルフカットで良いのかもしれない。
これで年3万浮くとしたら、死ぬまで続ければ100万以上浮くだろうから、今すぐ高級ギターの1本や2本買っても、別に問題はないわけだ。

6/29 Mon
StrymonのアンプシミュレーターIridiumはとても素晴らしい。手を出すには、ちょっと勇気が必要な値段だが、それ以上の価値がある。

6/30 Tue
「誕生日」に着手する。アルバム全体のバランスから言って、折り返し地点に配置するのが良さそうな曲である。
これが今回のソロアルバム制作の最後の一曲で、14トラックめ。

2020.6/1〜6/15

6/1 Mon 
登園の許可が出て、明後日から娘を保育園に預けられる事になった。COVID-19は全く収束していないが、ある程度社会生活を元に戻すのはやむなし、という雰囲気になりつつある。思うに、人生で今ほど社会状況に翻弄されている時期はなかった。たまにコロナを戦争に喩える人がいるが、そういう意味で、まあわからなくはない。
もちろん個々人の生活は社会によって常に左右されているのだろうけど、その揺れ方がこのくらい急だと直接的に自覚できるのだなあという事だ。

6/2 Tue
持続化給付金の申請は思いのほか、スムーズに進んだ。

6/3 Wed
娘の慣らし保育が始まる。誕生してから今まで殆ど一緒にいたので、なんだかとても寂しい。しかし娘は全く泣いたりせずに「めだか組」の初日を楽しんでいたようだ。帰って来てからもひたすら上機嫌だった。預けられている事自体に気づいていないのかもしれない。保育園の先生はすごい。
日中、娘のいない部屋は、しんと静まり返っていた。

6/4 Thu
Genelecのスピーカーが気になって夢に出てくる。給付金で買ってしまうと思う。
「アトリエ」全編にギターをダビングしてから全部消す。娘は今日、園の給食を3杯お代わりしたらしい。

6/5 Fri
「アトリエ」のミックスを進める。作曲、作詞、プレイヤー、ミキサーを兼ねる事によるシナジーを最大化して、自分にしかできない録音物を作る。

6/6 Sat
Genelec8330が家にやってくる。付属の測定用マイクで部屋の音場を計測して、スピーカーからの出力を補正できる。結果のグラフを見ると、うちでは120hzくらいがかなり出っ張っている環境だという事がわかった。だからベースがB音に行くと、途端にブーミーに聞こえるのか。今まで削っちゃってたなあ・・

6/7 Sun
午前中は「アトリエ」のミックス。午後は休みと称して酒を飲んで和室に転がっていた。

6/8 Mon
「劇場」のミックス。何箇所かに他の全ての音を圧するようなスネアを入れたい。
自分は音量がアホみたいであったり、音色が奇抜だったりするスネア、スネアなのに殆どキックに聞こえるような狂ったスネアに対するオブセッションがある。

6/9 Tue
「劇場」にギターを追加する。この曲の伴奏については、極力パターン化せずに、音が登場人物のように、必要な時だけ現れて、去っていくような形にしたい。

6/10 Wed
「暗い朝」に取り掛かるが、まだアレンジが定まってないので、進まない。
以前の物に比べて縦長で、重くなったスピーカーの耐震対策をどうしようかしばらく考えていたが、単純に100円ショップで買った荷造り用の紐でスタンドに縛りつければ良いという事に気づいた。

6/11 Thu
アントニオ・サンチェスのsgt peppers lonely hearts club bandのカバーがとても素晴らしい。淡い和声感というか、12音階の枠を越えて、尚且つコントロールされたアレンジというか。ジェイコブ・コリアーが若さ故のこれ見よがし的にやっていることを、オジサンがサラッとやっている感じ(ジェイコブ・コリアー大好きだが)。これから音楽が発展していく方向性の一つなんじゃないかと思う。

open.spotify.com



6/12 Fri
「暗い朝」の方向性が少し見えてくる。オープニング・トラック「世界」のミックスは手こずっている。

6/13 Sat
大雨で一日家にいる。ポッドキャストを聞きながら溜まった新聞を読んでいる。

6/14 Sun
M一家が遊びに来る。友人にオフラインで直接会うのはちょっと久しぶりだ。こんな事を書くと、何だか今年の3月以降が並行世界で展開している出来事のように感じられる。

6/15 Mon
娘は保育園に着いて同じクラスの子が目に入ると、ずり這いでピューっと駆け出していった。0歳で既に仲間がいるのは素晴らしい。
「暗い朝」、居間のピアノを録音してみる。ノークリックの弾き語りとクリック有りのオケを継ぎ接ぎするという方向性が見えてきた。

2020.5/16〜5/31

5/16 Sat
一日中雨。「花のかんむり」が、概ね仕上った。

5/17 Sun
ベランダにキャンプ椅子を出して酒を飲む。新規感染者数はこのところだいぶ減少しているが、このウィルスは暑さに弱いという説は果たして正しいのだろうか。

5/18 Mon
松村拓海制作のkontakt音源「Not Bad Flute」は改良を重ね、新機能を続々実装したバージョン8.8となって、かなり仕上がってきた。
今回のデモトラックは、まずオケを渡して実際にフルートソロを吹いてもらい、そのソロをmidi化してもう一度Not Bad Fluteで打ち込み直すという、かなりまわりくどいプロジェクトである。極端な使いこなしの一例にはなるだろう。
「アトリエ」の歌詞のラストが、まだ思いつかず、録音できない。

5/19 Tue
「Not Bad Flute」デモ演の作業を進める。機械の演奏と比較した場合の人間の演奏の特徴が段々とわかってきた。

5/20 Wed
フルートソロを細かく聞くと、各フレーズ単位と、そのフレーズ内の一音一音とのそれぞれで、音色が刻々と移り変わっていくのがわかる。フレーズひとまとまりとしての音色変化と、フレーズ内の一音単位での音色変化には、別個のマナーというか、法則性があるように思える。それをmidiで再現するために、とにかく各パラメータにオートメーションを書き込みまくる。ボリュームはもちろん、EQも、ブレスの量とトーンも、アタック/リリースも、レガートタイムも、とにかく弄れる部分は全てオートメーションする。
そうやってkontakt上で音色をバラけさせた上で、今度は音色を均す方向性でリバーブをかける。

5/21 Thu
Not Bad Flute3トラック目のデモ演は、演奏者本人からドッペルゲンガーの称号を頂戴した( https://soundcloud.com/notbadflute/ensemble-bass-alto-flute-long-tones-demo-by-kariu-kenji)。落ち着いた曲調の方がmidi化しやすいのかもしれない。早めのフレーズをmidiでやると、意図していないのに人間離れした驚異の演奏になってしまいがちなので、テクニカルな意味ではマイナス方向に調整する事があるわけだが、フルートにおける上手、下手のさじ加減が体感として、フルート奏者ではない自分には備わっておらず勘所が難しい。

5/22 Fri
あるメールマガジンの購読を申し込む。久々に読んだが、この人の文章はやはり毒である。自分はある程度、毒の部分を腑分けしながら読めるけど、若かりし頃など、毒を毒と認識できずに無自覚に食らう事もあり、実際今も変に影響受けちゃう人は大勢いるだろうなあと思う。それだけパワーのある、危険なところまで降りていける書き手なので、有料コンテンツになってアクセスしにくくなった事は社会的に良かった。

5/23 Sat
東京jazzの配信ライブの完成度が高かった。

5/24 Sun
ついに「Not Bad Flute」がリリースされた( https://notbadflute.base.ec/)。このプログラムがバカ売れしてビルが建つ未来を望む。
「Not Bad Flute」で打ち込んだソロと、本物の生演奏を比較できる音源を作ったら面白そう。全曲ストリーミングできるが、どちらが生身の演奏なのか答え合わせは、音源を買った人にだけオマケで付いてくるようにする。

5/25 Mon
おとぎ話のbandcamp音源第三弾、第四弾の作業を請け負う。10年以上前のUFO CLUBの空気感が、あの赤土色の壁からムワッと立ち上がってくるような、個人的にも懐かしい音源。

5/26 Tue
Bメロを結句する和音の事故感ある響き(#9th)が衝撃的なTerrace Martinの「Ovlivion」という曲の分析をする。

5/27 Wed
ソロアルバムのmixが一進一退。

5/28 Thu
OWKMJのデモ作り。コロナ明けにはやはり新曲をやっていたいものである。

5/29 Fri
ミックスナッツハウスからファイルが送られてくる。皆ライブができない分、制作のペースが上がっているようで、ちょくちょく、ミックス、マスタリング系の作業依頼が発生する。音の面で役立てる事があれば嬉しい。

5/30 Sat
娘の夜泣きがものすごい。夜泣きしてなくても、ふと気になって起きて見てみると目が合ったりするので、彼女はほとんど寝てないような気がする。

5/31 Sun
「劇場」を歌い直す。散々いじっても上手くいかなかったトラックだが、要は元の歌に問題があったので、さっさと歌い直せば良かった。

2020.5/1〜5/15

5/1 Fri
比較的寒がりの私でもヒートテックが不要な季節になってきた。川沿いの植物の勢いが凄い。まるで太陽に向かって叫んでいるように生命力の漲った緑色で、ぐんぐん伸びる。

5/2 Sat
保育園から手紙が来て、引き続き登園を控えて欲しいとの旨。今の家庭内2シフト制のタイムテーブルが性に合っているので問題はない。
「もしかして」に社交ダンス風アレンジを加えてみる。社交ダンス風アレンジとは、自分にとってはさりげない程度のシンコペーションの事だ。

5/3 Sun
ライブも練習も打ち合わせもなく、ほぼ同じスケジュールでもう二ヶ月。特に辛い事はない。経済的な不安はあるが、その不安は家を出てから、この方20年以上ずっと傍に立ってくれている、ほとんど気心の知れた友人のようなものである。

5/4 Mon
岡村靖幸の「幸福」というアルバムのジャケットは、CDのアートワークという枠には収まらない、何か物凄いものがあるように数年前に目にした時に思ったのだが、その絵は会田誠の作品である事を今日知った。このような、見た人の心のどこかに長い間引っ掛かり続けられる強度には、やはり芸術という呼び名がふさわしいように思える。

5/5 Tue
大阪の叔父が亡くなったとの報せを受けるが、クラスターを警戒するために親族が集まる形での葬式はできないとのこと。すごい時代に突入したものだ。最後に会ったのは10年以上前になる。香典を持参する事もできず書留で送る。

5/6 Wed
拓海君が自ら開発している本人演奏をサンプリングしたKontakt音源が、ここ数日凄いスピードでバージョンアップしている。ベータ版使用後の感想として、追加して欲しい機能などを伝えると、次のターンでもう実装されていたりする。このレベルで演奏とプログラミングが両方できる人は滅多に居ないのではないだろうか。

5/7 Thu
散歩していると深い森に出くわした。川があって森があって、交通の便も決して悪くなく、言う事ない街に住んでいる。

5/8 Fri
森に行く。「もしかして」が大体できる。「チャイニーズブッキーを殺した男」を何度目だか、見返す。あらゆる音楽の中で、自分が一番好きな音楽は、この映画の中でひっそりと流れている幾つかの音楽だ。Bo Harwoodは忘れられた作家かもしれないが、他の誰にも替えがたい唯一無二の素晴らしさがある。

5/9 Sat
眠っていると娘が体に乗ってきて、そのまま勢い余って一回転、でんぐり返って、自分でもびっくりして泣いていた。

5/10 Sun
拓海kontakt音源のデモソングを作っている。まずオケを作った上で、本人にソロを吹いてもらい、それをmidiに起こして、本人の演奏をサンプリングしたkontaktでなるべく本物に似せて打ち込む、というまわりくどい制作手法。伝わるだろうか。

5/11 Mon
娘はとにかくパソコンに触りたいので、ちょっとした高さにノートPCを置くと、自動的に掴まり立ちの練習になる。雰囲気を出すために「get up,stand up」をYoutubeでリピート再生する。

5/12 Tue
拓海デモ音源の二曲目に着手する。バスフルートを使ったスローテンポなもの。

5/13 Wed
今日も森に行った。森の中で、虫と、経済不安に襲われて、それらをかわす。食い詰めたとしたら、今の仕事にしがみつかずに、別の仕事をすれば良いだけ。そう考えれば気分は楽になる。

5/14 Thu
拓海デモの三曲目に着手する。「そこのみにて光輝く」を再見する。最後の役者二人の表情が本当に美しいと思う。どのように演出しているのだろう。あるいは、演出ではなく、自然に浮き上がってくる表情だからこそ、あれだけ印象的なシーンになるのだろうか。

5/15 Fri
森を抜けて県境を越え、時間が許す限り歩き続けてみた。新座市は緑が多くて好きだ。「大木」という表札がかかった豪邸の門の左右に、まっすぐな大木(たぶん杉)が全く同じ高さで2本、そびえ立っていた。大きな木のある大木さんのお宅と言えば、あの辺の人はすぐにわかるものなのだろうか。

2020.4/16〜4/30

4/16 Thu
確定申告に東村山へ。自転車で向かう途中、何件も店が潰れているのを目にして心配になった。たまたまかもしれないけど。
一ヶ月延長の受付最終日だったが税務署は空いていた。

4/17 Fri
クリップしまくっている録音素材が届いた。より歪ませる方向で頑張っていきたい。

4/18 Sat
「夢がかなった」MIXを進める。「readelay」という、もはやどこで手に入れたかも定かでないフリーのディレイを多用している。自分の求めているのは単にトラックがコピーペーストされたかのような、味のないディレイだ。単にトラックをコピーペーストすれば良いだけなのかもしれない。
試してみると、実際にそれで問題なかった。

4/19 Sun
ルーク・ケイジ」シーズン2を見終える。色々と考えさせられるドラマだった。シーズン3に続きそうな展開だが、大人の事情で完結らしい。

4/20 Mon
おとぎ話のライブ音源の細かい作業。良い演奏だ。牛尾健太のギターは近年ますます、すごくなっている。素晴らしいバーン、素晴らしいドカーンが沢山ある。これだけの芸術を、集団としての技芸を、長年かけて同じメンバーで磨き上げてきて、今、それが感染症の流行によって十全なかたちで発表できず、この先どうなるかも不透明な日々が続くのは、本当に精神的にしんどいと思う。音楽自体がなくなる事はなくても、ライブシーンは一度焼け野原になってしまうのだろうか。

4/21 Tue
「アトリエ」の歌詞で、長い間、保留になってしまっている部分にトライするのだが、なかなか良い言葉を紡げない。

4/22 Wed
「花のかんむり」歌い直すもいまいち定まらず。この曲が今回一番難航している。

4/23 Thu
「花のかんむり」にパーカッションを入れてみる。今ひとつである。

4/24 Fri
今日も川沿いを散歩する。通りすがりの老人に子供を触わって良いかと聞かれるが、感染症が流行っているので断る。もともと世知辛い世を、さらに世知辛くしてしまった気分になる。でも、コロナ云々抜きにしても赤ん坊は一人の人間なので、赤の他人に許可なく触れられるのは、やはりよくないのではないだろうか。でも触りたくなる気持ちもわかる。

4/25 Sat
「影絵」を一度仕上げる。この曲はつげ義晴の「海辺の叙景」という作品の最後の一コマの事を歌っているのだと、曲ができた時から思っている。
つげ義晴漫画の最後の一コマ、で言えば私も世間の多くの人たちと同様に「李さん一家」の最後のコマが一番好きである。

4/26 Sun
娘のずり這いが日々高速化している。ほんの少し前までは、本人は前進しようとしているのに、なぜかバックしてしまって、よく泣いていた。

4/27 Mon
「花のかんむり」のアレンジがようやく定まった。ベース+ボーカルを基本とする。はなわスタイルだ。たどり着いたらそこは佐賀だった。
娘はつかまり立ちをするようになり、今日はトイピアノの上に乗っていた。元気すぎて心配になる。

4/28 Tue
小学校時代を夢で思い出した。学芸会の演劇でハマり役の「神様」を演じた私は校内で中ブレイクを果たすのだが、演劇なんて軟弱、男はスポーツをやるものだ、という固定観念に徐々に取り憑かれ、近眼ゆえに全然得意ではないソフトボール部に翌年転入したのだったが、絶対に演劇を続けた方が良かった。本心では演劇が、とてもやりたかったのだ。
このように、10歳の子供でさえも、男は、女はこうあるべきだ、みたいな思い込みに支配された結果、素直な選択ができず、それから30年経った今でも時々、夢で思い出して悔いたりする。自分には勇気が足りなかった。やりたい事をやるには勇気が必要だ。あの選択は自分にとって何らかの分岐点だった。

4/29 Wed
「もしかして」のアレンジが定まらない。8ビートに寄せていくと、とにかくダサい感じになる。ダサいものは大抵好きなのだけど、これはたまたま好きじゃない種類のダサさ。


4/30 Thu
「もしかして」にエレキギターを加えてみる。

2020.4/1〜4/15

4/1 Wed
意識の半分はコロナに支配されている。周囲でライブをしている人はほぼいなくなった。友人たちは精神的、肉体的、経済的にどのように過ごしているだろうか。
今日の保育園の入園式は中止、ホールでの説明会に変更になった。入園はしたものの、しばらく登園は控えて様子を見る、ということになる。その説明会の間すらも、コロナのニュースを追ってしまうのだが、識者が10人いれば10通り違う見解を述べていてキリがないので、今日からしばらく18時までニュースもSNSも見ないようにする。完全に遮断してしまうと、それはそれで続かないと思うので、毎日18時以降は解禁。

4/2 Thu
妻の育休が終了しても、保育園には預けられない。二人とも仕事をしなくてはいけないので、一日を二分割したシフトを組む事にした。午前4時〜午後11時半までの19時間30分を二分割すれば、食事や家事の時間を除いても、各々7時間ずつくらいは仕事ができる。で、残りの片方は子守り。少なくとも、計算上は可能なはずなので、そうする事にする。

4/3 Fri
極端な朝型が自分には向いているようだ。しばらく出かける予定もなさそうだし、黙々とこのタイムテーブルに従う。「それ」のアレンジを進める。政府はどうしようもない案を次々出して、人々を不安に陥れている。

4/4 Sat
音感に乏しい自分はハモりは計画的に行わなくてはならない。最初にピアノでガイドになる和声を録音して、それを一段一段、声に置き換えて録っていく。逆に思いつくままで入れていくと、最後は詰将棋みたいになってくる。「やな小鳥」の録音にトライするが、これはほぼ一日で完成してラッキー。

4/5 Sun
「やな小鳥」「影絵」の作業を進める。元々家で仕事をしていたので、やや朝型にシフトはしたものの、生活自体はあまり変わってない気がしてきた。ZOOM飲みというものもしてみた。

4/6 Mon 「影絵」進める。午後は毎日2時間ほど娘を抱っこ紐に入れて散歩する。幹線道路の交通量が平時よりだいぶ少なく、心なしか空気がキレイに澄んでいるように感じられる。明日、緊急事態宣言というものが出されるらしい。

4/7 Tue
「影絵」の続きを進める。「ポケット」に取り掛かるが、こちらは短い曲だし、方向性がすぐ決まった。4時起床の生活は自分に合っている。コロナの影響で保育園に通わせられないという、この状況がなければ、ここまで思い切った朝型にはなかなか踏み切れなかっただろう。41年生きてきてようやく自分に合うライフスタイルを見つけた感じだ。

4/8 Wed
「それでも秋」に着手。午後はいつも通り子守りをしながら散歩。家の前を流れる川を下って行ける所まで行ってみた。大抵、散歩の途中で子は寝るので、そこからは気になっているアルバムをフルで聴く。Sunday Service Choirの長いアルバムなど、こういう時でもないとフルで聞かない。
川沿いに進み県境を越えて新座市に入ると、子供の遊び方はさらにワイルドになっていく。肝試しで4mくらいの橋から飛び込む子供達がいる。自分も少年時代、高い所から飛び降りる事がとても好きだった。学校の、長めの階段なんかを一気に全部飛ぶのだ。マリオみたいなイメージで。体重が軽いせいか、意外と無茶苦茶な高さでも飛んでみると大した事はなかったりするのだが、今やったら体は重いわ運動不足だわで、ただの骨折くらいでは済まないかもしれない。

4/9 Thu
自宅で歌録り時のマイクは、コンデンサかリボンかRE20のどれかをよく使っていたのだけど、最近クジラ(MD421)が一番良い気がしてきた。自分の歌唱法にフィットしている。コンデンサで録った後、だいたいEQで調整したりするのだが、その調整した音で最初から録れる。

4/10 Fri
「ポケット」「劇場」進める。「劇場」はアレンジが概ね固まる。それぞれの曲に合う、必要最低限の音を見極めてその音を作る。自分と、その曲の間に存在しているはずの、正解を探す。そのような突き詰めるべき課題があるのは幸福な事だ。それは他に代え難い行為だ。

4/11 Sat
政府の様子がおかしい。震災の時にも思ったが、我々は非常事態に対して想定以上の弱さ・脆さを持っている。国の危機対応能力について普段、過大評価しているだけなのかもしれない。様々な決定の責任の所在が曖昧なので、成功・失敗の検証が難しく、経験から学ぶ事も苦手である。

4/12 Sun
「チビ」→「チビB」→「Bちゃん」→「B子」ときて、今は「Bザ」と呼ばれている我が娘のずり這いが日々上手になる。文字通りの日進月歩。

4/13 Mon
「それでも秋」のコーラス録りは、ラッツ&スターを意識する。

4/14 Tue
「それでも秋」大体できる。風間君からおとぎ話の音源の相談。いつライブが再開できるのかわからない、自分も不安だが、彼らのようなライブ・バンドのケースはより深刻だ。Bandcampの音源の制作を手伝う事に。


4/15 Wed
昔、家の近くにあったおむすび屋さんのお婆さんがいきなりくれたガットギターを引っ張り出してきて、音源に使う。

2020.3/16〜3/31

3/16 Mon
キャッシュレス化した弊害で、たまに現金を使うと釣り銭を取り忘れる。ハッと気づいて自販機に戻ったが、お釣りの¥890は誰かの小遣いに。

3/17 Tue
「鑑み」。全体的に面白かったような気もする。気もする、が、これは今回限りにして普通のライブをやりたいと思う。

3/18 Wed
娘が最初に発した言葉が「19.02」だった。という夢を見た。

3/19 Thu
ショートフィルムのMAを自宅で行う。コロナの影響で、立ち合いの作業はなかなか難しくなってきた。

3/20 Fri
我が初代スマホZenphone Goの画面が相変わらず割れまくっている。操作できないので買い換えようと思う。

3/21 Sat
「それ」の作業。なかなか進まない。どのようにしたらお経のようにならずに面白いのか、というか、お経のようでも面白いのか、試行錯誤の日々。
UMIDIGIという中国のSIMフリースマホを一万ちょっとで購入する。機種による対応キャリアなど必要な事を調べていたら、夜中になってしまった。


3/22 Sun
SIMカードの型が古くて携帯電話が移行できなかった。SIM再発行の手続きなど。

3/23 Mon
UMIDIGIのスマホは必要十分というか、通話とLINEと地図くらいしか使わない自分には満点。GPSの精度が上がって自分が今どの方角を向いているかがわかるようになった。これが一万ちょっとですぐ手に入るって(アリババとかで買えば一万以下)、あらためてすごい時代だなあ、と。

3/24 Tue
昔のバイト先での夢。病気で亡くなってしまったIさんと働いている。組織内で十分コミュニケーションがとれておらず、家族的だった組織にいつの間にか隙間風が吹いている。それをただただ傍観していた2010年前後のあの感じを思い出す。それはいくらか青春的な、甘酸っぱい崩壊でもあった。皆所謂フリーターで、近い将来何かを成すために頑張っていたが、思うような結果を出せないまま、徒らに時間だけが過ぎていく。そんな時期に、そこは確実な自分たちの居場所だったし、単に生活費を得る手段としてだけではなく、励まし合い、羽根を休められる休息の場所だった。それが、ゆっくりと失われていく。その崩壊には、しかしどこか甘美な部分がある。

3/25 Wed
ルーク・ケイジ」第一話を見る。ハーレムが舞台で、サウンドトラックが90年代ヒップホップで(というかウータン・クランで)、悪と正義が入り混じり(というかどの勢力もそれぞれグレーで)良い。並行して、コロナ関連のニュースをどうしても見続けてしまう。情報が飛び交い、10人いれば10通りの意見がある感じで、見てもキリがないとわかっていても、見てしまう。

3/26 Thu
ルーク・ケイジ」の続きを見る。連続ドラマは最終話までのしばらくの間、何を見るか迷わずに済むところが良い。長大な流れの中で描かれる、登場人物のキャラクターや人物相関図の変化をフォローしていくのは、映画の尺では味わえない楽しみだ。

3/27 Fri
コロナに関して確実に潮目が変わった感がある。アミューズメントは延期・中止しても止む無しという雰囲気。雰囲気というか、事実、密集は危険なので、自分でもそういう結論に達してしまう。一度決まったライブの予定をキャンセルするというのは、今まで考えられない事だったけど、そんな事も言ってられないほど逼迫感のある状況。自分もこの一週間ほどで捉え方が変わった。正直、中身のない空騒ぎくらいに思っていたが、それはただの無知だった。

3/28 Sat
外出の予定が全部飛んだので、だいたい毎日同じ感じ。5時に起きて「ルーク・ケイジ」と「ノット・オーケー」と「フォロワーズ」の続きを見る。「フォロワーズ」は文化的後進国で作られたドラマという感じで、ストーリーの粗雑さを面白がりながら見るような見方というのも限界で、リタイア。

3/29 Sun
コロナのニュースが気になって、読書しても文字が頭に入ってこない。4月の予定は全て延期・中止となった。カニエ・ウェストを集中的に聞く。今まで意味がわからなかった「Life of Pablo」が、とうとうわかる気がしてきた。

3/30 Mon
志村けんの訃報。コロナニュースが気になって作業が殆どできず。音楽に身が入らない。実家の母はかなり警戒しているようなので少し安心する。感染症に対するスタンスが家族間で違った場合、それを説得するのは難しい事のように思う。今は、気にしないでジャンジャン外出する人がいる一方で、自主的にロックダウンしている人もいて、反応は二極化している。

3/31 Tue
ルーク・ケイジ」の続きを見る。法に裏付けられたオフィシャルなルールと、それ以外のアンオフィシャルなルールが交錯する物語。超人的なヒーロー達は全員、自警団というか、第三勢力というか、そういうものなので、社会的に危ういバランスに存在している。アンリアルな存在であるヒーローを、リアルな扱いでドラマにするには、だからその社会的軋轢の描写が効果的である。結局、正義とは何とか、誰にとっての正義なのか、みたいな正義論に行き着き、そこで一面的な悪を想定することこそが、悪となる。それは21世紀のストーリーテリングに於けるコモンセンスである。そこを自覚しつつ、どの程度距離をとるのか、とらないのか、みたいな部分が脚本の質となって現れてくるし、その点がぞんざいな作品を見せられると、なんだか馬鹿にされているような、こちらの程度を低く見積もられているような、残念な気持ちになってくる。